COLUMN|「映画」。ウソもマコトも全部。vol.4
2018.10.17

photo:1989年(平成元年)8月1日発行「シネポート創刊50号記念号」より

映像への水先案内人「シネポート」

かつて水戸のまちなかに多くの映画館があった時代、各劇場に置いてあった「シネポート」という映画情報誌をご存知だろうか。僕が「シネポート」をはじめて目撃にしたのは高校1年の夏。当時、映画雑誌といえば「スクリーン」や「ロードショー」、ちょっと背伸びして「キネマ旬報」。まだ丸井水戸店が水戸駅北口を出て左手にあった頃、右手に行くと書店があって、そこでよく映画雑誌の立ち読みをしていた。水戸西武6Fにあったリブロも映画関連書籍が充実していたので、よく入り浸っていた。ある時、映画館で渥美清さんと竹下景子さんが表紙のミニコミ誌を手にした。それは白黒の表紙で、開くと活字がびっしり敷き詰められていて、カラー写真が満載の「スクリーン」や「ロードショー」を愛読していた僕にとっては、その熱量に圧倒された。まさに未知との遭遇だった。表紙には「創刊50号記念」とあり、ずっと続いてきた情報誌であることはすぐにわかった。それからと言うもの、「シネポート」の発行を毎号楽しみにしていた。「シネポート」の編集・発行は「水戸映評会」。「水戸映評会」については、次回以降のコラムに譲るとして、1976年(昭和51年)10月20日に創刊された「シネポート」の発刊経緯についてご紹介する。

「戦前から昭和30年代の前半まで、当時の映画興行者たちは、自分の館だけのパンフレットを発刊してファンに提供していた。これを数多く集めることが映画ファンの勲章だった。それが映画界の斜陽と共に、金がかかるこうした作業はいつのまにか消滅してしまい。配給会社が作った特色ない高いパンフレットだけが、映画館に置かれるようになった。このような手作りのパンフレットの代わりになるもの。映画タウン誌として読めるもの、そんな目標でスタートしたのがシネポートです。」

「シネポート」は「水戸映評会」のメンバーが、自分たちで広告協賛などを集め年数回発行し100号まで続いたが現在休刊中。僕は水戸の映画界の先輩たちの情熱と思想を受け継ぎ、水戸の地で脈々と続いてきた映画文化へのリスペクトと、新たな文化活動を創造する決意をもって「310+1シネマプロジェクト」の活動をしている。2013年(平成25年)の夏には、水戸のまちなかでの映画体験を再びという想いを込めて、水戸市大工町の「ホテル・ザ・ウエストヒルズ水戸」を会場とした上映企画を立ち上げた。そして、その上映会の名称には、どうしても「シネポート」を使用したいと考え、「水戸映評会」初期メンバーの一人、大平俊二さんに懇願。快諾していただいた。上映会の名称は「シネポートシアターMITO」。2018年(平成30年)9月24日は「シネポートシアター MITO」第20回目の上映会を開催することができた。上映作品はインド映画『バーフバリ 伝説誕生』。当日、とても嬉しいことがあった。かつて「水戸映評会」に所属していた方のお姉さんだという方、上映会にお越しになり、僕に声をかけてくださった。

「弟がやっていたことはただの道楽かと思っていたけど、水戸のまちにとってとても大切なことをやっていたのですね。名前(シネポート)を使ってくれてありがとう」と。

歴史ある名を使うことに重責を感じつつ、これからも水戸のまちなかでのスクリーン体験を提供し続けていきたい。

 

寺門 義典
1973年茨城県出身。茨城大学卒。大学時代に地元映画館でアルバイトをする。現在小学校教諭。ボランティアで地元の映画制作に多数参加。震災後、映画団体のネットワークづくりを目的とした「310+1シネマプロジェクト」を設立。「水戸短編映像祭」「シネポートシアターMITO」等の非劇場での上映活動のスタッフをしながら水戸の映画文化の発信に尽力している。水戸のコミュニティ放送「FMぱるるん」の「シネマ倶楽部」(第1・3月曜14:00)パーソナリティ。
https://310cinema.wordpress.com