COLUMN|世界の距離をはかって。Vol.1
2018.04.20

「山はどこにある?」

 子供の頃、生まれて初めて関西に向かう新幹線に乗って、びっくりしたことがある。それは、新幹線が東京から西に進むにつれ、山のすぐそばに町がある地域が広がっている、ということだった。
 茨城県ひたちなか市生まれ、つまり関東平野のまっただ中で育った私にとって、町とは、広い平地であることが当たり前。そして山とは「遠くにかすんで、うっすらと見えるもの」だったのだ。
ところが車窓からの風景は、まるで山の中に町があるようにも見えた。それが子供心にも不思議であり、新鮮でもあった。その時から、どこかに旅した時、目に映る山と自分との距離が、どれくらいあるのか?ということが、その地域とそこに住む人々の生活を考える、自分なりの目安になった。

 この感覚を他人に話すと、分かるわ、それ! と納得してくれたり、えー、逆だよ!と驚かれたりする。つい最近も福島市出身の人に話したら、やはり意外だったようで「福島は盆地だから、山と街は近いんです」と言っていた。
私だけでなく、多くの人が無意識のうちに、山を基準にして世界における自分の立ち位置を測っているのかもしれない。そして私の場合は山だけど、人によってはそれが海であったり、都市であったりするのだろうし、世界的に見たら、砂漠とか、ジャングルなんていう基準もあるのかもしれない。たぶん。

 

 さて、6月から自分の新しい仕事が始まる。どんな内容にするか、横浜にある出版社の編集者と話し合い、「茨城県北の海岸線」をテーマに決めた。
茨城県北の海といえば、去年、私は震災後の日立市の海岸線の変化を撮影し、写真と映像による二つの作品を作った。だから県北の海には思い入れもある。その海を新たな目線で見直してみようと思い、まずは日立市から再度リサーチすることにした。そして日立市役所にお勤めの鈴木聡さんに、同行をお願いしたのだ。

 


鈴木さんには、というか我々は「聡さん」と呼んでいるのだが、実は2年前に行われた「茨城県北芸術祭」の時から、かなりお世話になっている。芸術祭のサポーターだった聡さんは、機械にとても詳しく、われわれ参加アーティストの音響システムや映像システムに不具合があるたびに、すぐに展示スペースへ出動してメンテナンスしてくれるという、頼れる兄貴的存在だったのだ。
機械だけではない、日立の街のこともよく知っている聡さんの目線なら、まだ私が知らない日立の海が見つかるかもしれない、と思ったのである。

 「いいですよ!」と快く引き受けてくれた聡さんと一緒に、さっそく休日の日立市を廻ることになった。
ところで水戸と日立の距離は、およそ40キロ弱ほど。同じ県内だし、さほど離れてないようにも思えるが、地形は全く違う。東海村と日立市の間を流れる久慈川を境にして、私たちが住む関東平野は終わり、その先は福島、宮城へとつながる阿武隈高地だ。つまり日立は阿武隈高地の南の端ということになる。
だから日立は水戸に比べて、平地が少なく山が多い。海と山とが接近していて、街は海と山にぎゅっと挟まれるようにして成り立っている。

 聡さんには海岸線をリサーチしたい、という話をしておいたので、私はすぐにでも海岸へ行くもの、とばかり思っていた。
ところが聡さんは海そのもの、というより、海がよく見える高台や海水が遡上する久慈川の河口、山と海をつなぐ位置にある工場などを案内してくれた。どれも「海」には違いないのだが、私の想像とはちょっと違う切り口のところばかり。
そして聡さんは、そこの歴史や、工業都市・日立のインフラの成り立ち、働く人々のエピソードをいろいろ教えてくれた。どれも日立の山と海とがつながっていることを感じさせる、興味深い話ばかりだった。

 ちなみに私は2年前の県北芸術祭で、日立の山にもリサーチに入っている。その時は何度も日立の山に登って撮影し、日本最古の地層とそこから出る銅で栄えた日立銅山のことをテーマにした映像作品を作った。だから自分は住んではなくとも、日立の海も山も、よく知っているつもりでいた。
でも私は海と山をそれぞれ分けて考えていて、「その間にあるもの」という概念を、まだうまく捉えきれていなかったようだ。聡さんが教えてくれた「山につながっている海」を眺めているうちに、もしかしたらここ県北では、山なくしては、海のことを語ることはできないのではないか? と思い始めたのである。

 

 すっかり日も暮れて、聡さんにお礼を言って日立駅で別れ、水戸に戻る電車に乗った。常磐線が南に向かって久慈川を渡る。あっという間に東海村を抜けて、勝田駅を過ぎ、やがて水戸へとたどり着く。時間にして30分で、もうここは関東平野だ。私と山との距離が、また少し遠くなった。でも、すぐにあの海と山の中に戻ることになるだろう。海と山の間にあるものを撮りに、今年も何度も県北に行くことになりそうだ。

 車窓のはるか向こう、夕闇に紛れてうっすらと山脈が見える。目に映る山のどれかは、もしかしたら県北を通り越して、福島にあるものなのかもしれない。

 

松本 美枝子
写真家。1974年茨城県生まれ。2005年写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)で平間至写真賞受賞。生と死や、日常をテーマに写真とテキストにより作品を発表。
主な個展に、The Second Stage at GG #46松本美枝子写真展「ここがどこだか、知っている。」(2017年ガーディアン・ガーデン)、「クリテリオム68 松本美枝子」(2006年水戸芸術館)。その他「原点を、永遠に。」(2014年東京都写真美術館)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」、2016年茨城県北芸術祭、2017年Saga Dish & Craft、「Reborn-Art Festival 2017」などに参加。
写真詩集に『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)。
photo:豊島 望