COLUMN|世界の距離をはかって。Vol.2
2018.05.07

「学校が始まる」 

 デザインの専門学校の非常勤講師になって3年が経った。私は服飾関連の学科の3年生に、写真の基礎を講義している。
学校では、新学期が始まる直前に講師の会議がある。すっかり春になったその日、会議が終わって仲がいい同僚の先生たちと共に建物を出ると、近所の友達、ベルとそのお父さんに出くわした。
友達、といってもベルは犬。私が「ベルのお父さん」と勝手に呼んでいるおじさんは、ベルの飼い主さん。いつもこの辺りを散歩している。毛むくじゃらのスタンダードプードルのベルは、おりこうでおとなしい。まるで歩く大きなぬいぐるみみたいなその姿は、遠くからでもよく目立つ。私はそんなベルが大好きなのだ。
ベルとお父さんに会えた日は、ああ、今日はラッキーだったな、と思う。今の住まいでは犬を飼うことができないから、ベルとひとしきり遊ばせてもらうのは貴重な時間なのだ。そして初めてベルに会った他の先生たちも、そのあまりのかわいらしさにびっくりしたようで、撫で回して写真を撮りまくっていた。

 それからすぐに新学期が始まった。今年受け持つ3年生16名のことは、他の先生や卒業生たちが「とても仲が良いクラスですよ」と口を揃えて言っていたので、新学期をちょっと楽しみにしていた。学校とは不思議なもので、毎年、同じ学科で同じ講義をしても、反応も進み具合も、その年ごとに全く違う。だから学生と過ごす時間は飽きることがない。
私が受け持つ学科では、3年次に初めて写真を学ぶ。そこで毎年、前期の初めに、自分が良いと思う写真を1枚持ってきて、その理由を話し合う、という授業をしている。写真であれば何を持ってきても自由なので、学生たちは自分が撮影した友達や恋人の写真、好きな芸能人のポートレート、あるいは憧れの写真家の作品、さらには親が撮ってくれた子供時代の自分など、本当にいろんな写真を持ってくる。そして理由も人それぞれで、それを聞くのが面白い。
つまりこの授業は、世の中にさまざまな役割の写真があることを認識し、それらが人間にとってどんな意味を持つのかを考え、そしてこれから自分がどんな写真を撮っていきたいかを探る、この1年間の勉強のとっかかりなのだ。

 今年も、そうして一人一人の話を興味深く聞いているうちに、一人の女子学生の番が回ってきた。小さな桜の木の写真である。ちらりと見たところ、特に優れた写真というわけでもない。自分で撮った写メなのかな? と思う間もなく、その学生は大きな目に涙をためて、黙ってしまった。私はびっくりして、どうしたの? と聞くと、隣の子が「私、話を知っているから代わりに説明する」という。
話を聞くと、その写真はやはり泣いている学生が撮ったもので、去年死んでしまった愛犬のお墓に植えた桜を写したのだという。今年は1年目だからまだ花は咲かないだろう、と家族で話していたのに、今年の春、見事な桜が咲いたので、これはきっと死んだ犬が、自分たち家族のために咲いてくれたんだと思う、という話だった。だからこれは大切な写真なんだ、と。本人はもちろんだが、代わりに話してくれた学生もいつの間にか涙目になっているし、周りの学生たちもちょっぴり涙を浮かべている。
授業中、大半の学生が涙ぐむ、というのは、4年目にして初めての事態である。なんだか私もおろおろしてしまって「みんな、泣かないでー。いや待って……やっぱり泣いてもいいや、泣きたい時はいつでも泣いていいわ」と言うしかなかった。そしてふと右横を見たら、男子学生まで目頭を押さえている。それを見た女の子たちが「ちょっと、なに泣いてんのよ!」と笑い出して、やっとみんな笑顔になったのであった。

 実は私も一昨年の今頃まで、犬を二匹飼っていた。老衰で続けて二匹とも死んでしまった。犬を飼ったことがある人なら誰でも分かると思うけど、この世で自分の犬に取って代わるものは何もないから、今でも寂しい。
そして私もこの学生のように、庭に二匹一緒に埋めてあげて、その上に花を植えようと思っていたのだ。でも彼らを土に返すことに踏ん切りがつかなくて、未だに部屋に骨壷を置いたまま。我ながら思い切りの悪い人間である……。学生たちに、そんな話もして、この日の授業は終わった。
それにしても、なんでも話せて一緒に笑ったり泣いたりできる友達がいるというのは、良いことだ。しかし思い返すと、私はあまり友達がいない学生時代を過ごしてしまったようだ。いつも一人で考えて、勉強していた気がする。仲良くなったのは、学校を出てから知り合った人がほとんどだ。それはそれで面白かったのだけれど、「学生時代のいい友達がたくさんいる」ということに関しては、この学生たちには、もう一生敵わない。ちょっとうらやましい。

 さて昨日またベルとお父さんに会った。会議の日以来だ。言葉は話さずとも、なんでも分かっているに違いないベルは、私のことを遊んでくれてるんだよな、といつも思う。ベルはおりこうだねえ、と頭を撫でたら、お父さんはにっこりと笑っている。
犬のふかふかの毛を確かめながら、うちに帰ったら、来週の授業の準備をしよう、と思った。

 

松本 美枝子
写真家。1974年茨城県生まれ。2005年写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎)で平間至写真賞受賞。生と死や、日常をテーマに写真とテキストにより作品を発表。
主な個展に、The Second Stage at GG #46松本美枝子写真展「ここがどこだか、知っている。」(2017年ガーディアン・ガーデン)、「クリテリオム68 松本美枝子」(2006年水戸芸術館)。その他「原点を、永遠に。」(2014年東京都写真美術館)、2014年中房総国際芸術祭「いちはら×アートミックス」、2016年茨城県北芸術祭、2017年Saga Dish & Craft、「Reborn-Art Festival 2017」などに参加。
写真詩集に『生きる』(共著・谷川俊太郎、ナナロク社)。
photo:豊島 望