他山の空似(たざんのそらに)
2019.04.20 -2019.05.06 | 水戸のキワマリ荘

水戸市北見町にあるオルタナティブ・スペース、水戸のキワマリ荘にて4月20日(土)〜5月6日(月・祝)まで展覧会「他山の空似(たざんのそらに)」が開催される。

「他山の空似(たざんのそらに)」
期  間■2019年4月20日~5月6日
時  間■18:00ごろ~21:00ごろ(土日祝日のみ)
※GW(4月27日~5月6日)は毎日営業します。

フィーチャリング
会沢正志斎
小松崎節子(水戸公衆放送)
染谷智広(THURSDAY)
企画・制作 五嶋英門

中心、統一と散逸、この街、時間、茫漠などをテーマにしたイベントです。
テーマ自体はよくあるものだと思いますが、外からの視点で地域を扱うのではなく、ずっとここにいるということ、
そして実際にこの街で活動する/した人の力を借りることで特異な見え方をするイベントになるのではないかと思います。是非どうぞ。

時間を列のように考えるということは「3つ」の時制の体系とうまく調和する。これに対し、早い部分と遅い部分という「2つ」の体系の方が実は経験された形での持続の感じにはよく合っていると思われる。というのは、もしわれわれの意識を調べてみるならば、過去、現在、未来が見出されるのではなく、複雑さを内包した1つのまとまりがあるだけである。「すべて」が意識の中にあり、意識の中にある「すべて」が存在し、共在するのである。そこには感覚的なものも非感覚的なものも含まれる。われわれは感覚的なもの ー 見たり、聞いたり、触れたりしているもの ー を「現在」、一方、非感覚的なものにおいては、広大な記憶という心的映像の世界が「過去」、もう1つの信念とか直感、不確定の分野を「未来」と名づける。しかし、感覚や記憶や予見はすべて意識に共在している。つまり、あるものは「これからある」ことで、あるものは「かつてあったがもうない」もの、というわけではない。
B・L・ウォーフ著/池上嘉彦訳『言語・思考・現実』( 弘文堂 1978年 )

誰かが、病院で全身麻酔を受けた経験について言った。「いつ意識を失ったかも分からず、目が覚めたら手術が終わっていた、死ぬっていうのはああいう感じなのかと思うと怖い」よく解る感覚だ。意識を失ったことにさえ気付かず、もしそのままだったら ? 死んだことに気付くこともない、ただ自分の存在がなくなるということが怖い、そういう感じだろう。しかし、その怖さというのはあくまで意識が戻った時に感じるものである。意識を失っている間を仮に「ブランク」と表現するなら、ブランクは閉じたとき、再び何かが始まった時初めてブランクになる。そうして失った時間を(ブランクの大きさを)数えるなりしてそれを眺めたとき、初めて恐怖の対象となり得る。その恐怖は「もしブランクが閉じなかったら」という仮定に由来するものだが、閉じたからこそ恐怖の対象足りえるのだから、その意味でこの恐怖はつじつまが合わない。合わないが、しかしよく解る。もしかすると、そんな感じの「開いたままのブランク」がそこらじゅうにあって、いつか誰かがそれを閉じて、眺めてくれるのを待っているのかも知れない。

わたしが彼に向かってゆっくり手を振ると、彼もゆっくりと手を振ってそれに答えた。私たちが手を振る動作は、私たちの腕を起点にするとても遠い旅のようで、それはさながら二人の人間がふたつの別々の町にいて、そこから手を振っているような感じだった。そう、タコマとセイレムの町でそれぞれ手を振っているみたいで、私たちの手の動きは何千マイルも隔たった場所で振られる手の動きのこだまにすぎなかったのだ。
リチャード・ブローティガン著/藤本和子訳『芝生の復習』(新潮社 2008年)


https://kiwamarisou.tumblr.com


イベント情報

「他山の空似(たざんのそらに)」
期間:2019年4月20日~5月6日(土日祝日のみオープン)
※GW(4月27日~5月6日)は毎日営業します。
時間:18:00ごろ~21:00ごろ
場所:水戸のキワマリ荘 水戸市北見町5−16
料金:入場無料
※駐車場はありませんので近隣コインパーキングをご利用になるか、徒歩でお越し下さい。