COLUMN|「映画」。ウソもマコトも全部。vol.1
2018.04.25

「圧倒的な映画体験」

僕には2歳の記憶がある。
当時、僕は水戸市城東にあった住宅に住んでいた。
その家は、玄関を開けると直接二階への階段がある不思議な間取り。
真夏の公園の砂場の暑さ、黄昏時の桜川の土手、茨城交通のバスのガソリンの匂いが記憶の断片。

あの日、僕は間違えなく戦争を体験した。
それは真夏の水戸市内。
母は暑さから逃れるように水戸市大町にある茨城県信用組合のビルの2階の部屋に僕を連れていった。当時、母は茨城県信用組合で働いていた。
前人未踏の洞窟の中に初めて足を踏み入れるような興奮と恐怖を覚えた。
しばらくして部屋は暗闇へと変わり、心臓の鼓動のように一定のリズムを刻む機械音が頭の後ろから聞こえてきた。そして、一筋の光が頭の上を越えて行き、映し出された広島の街の中に吸い込まれていった。遠くの空から一羽の黒い鳥がこちらに向かってくる。いや鳥ではない。B29爆撃機。キノコ雲。爆音と爆風。目玉や皮膚がただれ落ちながら立ちすくむ人。死体。火の海。

その日の夜は、目にしたものが何度も夢に現れ、泣きじゃくり、おねしょをしたことを覚えている。どこまでが現実で、どこからが虚構か、もうわからない。今思うと夢だったのかもしれないし、脳内でデフォルメされているかもしれないとも思うが、目にしたこと、怯えたこと、震えたこと、一つ残らず体の中に残り、脳みそに刻まれた。

これが僕の記憶に残る、初めての映画体験。
トラウマになり、嫌いになってもおかしくないエピソードだが、どうやら、僕はあの暗闇と映写機の音とスクリーンに魅了されてしまったようだ。

大人になってから、この話を母親にしてみた。
「あの日は、暑かったし、部屋はクーラー効いてるし、無料だし、何気無く立ち寄っただけなんだけどね、ハハハハハ」だって。どうやら茨城県信用組合では、毎年、夏休み期間中には映画会を開いていたらしい。そして、これものちに知ることになるのだが、その映画会の映写をしていたのが「茨城映画センター」さん。

僕は今、茨城映画センターの本田社長とともに、「310+1シネマプロジェクト」という映画の活動をやっています。

 

寺門 義典
1973年茨城県出身。茨城大学卒。大学時代に地元映画館でアルバイトをする。現在小学校教諭。ボランティアで地元の映画制作に多数参加。震災後、映画団体のネットワークづくりを目的とした「310+1シネマプロジェクト」を設立。「水戸短編映像祭」「シネポートシアターMITO」等の非劇場での上映活動のスタッフをしながら水戸の映画文化の発信に尽力している。水戸のコミュニティ放送「FMぱるるん」の「シネマ倶楽部」(第1・3月曜14:00)パーソナリティ。
https://310cinema.wordpress.com