COLUMN|「映画」。ウソもマコトも全部。vol.0
2018.04.02

昨夜、夜空に一筋の光線が降り注いだ。
それはオレンジから始まって赤、最後は火花を帯びながら緑になって消えた。
仕事帰りの車の中で遭遇したその一瞬の出来事に僕の脳内妄想映画館の銀幕に光が灯った。

とりあえず曲は、エアロスミス「ミス・ア・シング」。最高のボーカリスト、スティーブンタイラーのダミ声が脳内に充満し始める。あの光線は地球を破壊するほどの威力がある巨大隕石が、何億光年も離れた太陽系の外からやってきて、ひょんなことから大気圏に突入。それを事前に察知していた秘密結社のオジサンたちが、命を顧みず巨大隕石に立ち向かい破壊してくれたに違いない。あ、地球を発つ前には「戻ったら結婚しよう」と彼女か愛人かに言っちゃうオキマリの熱い抱擁シーンも追加しておきます。ともあれ、衝突すれば地球に再び氷河期が訪れ、人類は滅亡していたにだろう。ありがとうオジサンたち。ありがとーう!!!!!!(爆音でエアロスミス♫)

その後、妄想映画館では、あの夜の光線一つを肴に、宇宙戦争、宇宙人と子供の遭遇、時空を超えた男女の入れ替わりなどなど、数本の上映が行われたとさ。

さて、唐突に映画の起源の話をします。古代人が描いた洞窟壁画の話。洞窟という暗闇の中で松明の炎を頼りに野生の動物たちを描き出したそれ。3万年前の壁画から現れてくる生きとし生けるものの息遣い。なぜ彼らは描いたのか、しかも暗闇で。いや暗闇だからこそ、描けたのかもしれない。彼らが心を鷲掴みされた現実の一瞬を、「忘れたくない」「伝えたい」といった衝動の全て。そしてそれを見た私たちが心を揺さぶられる。もう、これは「映画」だ。

「映画は虚構である」と言う。でも一方で「現実から映画が生まれる」わけだし、「映画が現実になる」こともある。この話をしだすと虚構も現実も曖昧になる。そう、0か1かの話では括れない。だから映画は面白い。

今回、僕は「映画」の話を自由にしていいよと言う話をいただいた。で、いざ筆をとると書きたいことがありすぎて遅々として進まないのです。そしてまとまらない。でも、せっかくいただいた機会なので、僕の中のウソとマコトの世界の断片を活字にしてみたいと思います。

そういえばあの光線ですが、数日後「火球」という現象だったとテレビが教えてくれたことで、ひとまず脳内妄想映画館は終了。あー面白かった(笑)

 

寺門 義典
1973年茨城県出身。茨城大学卒。大学時代に地元映画館でアルバイトをする。現在小学校教諭。ボランティアで地元の映画制作に多数参加。震災後、映画団体のネットワークづくりを目的とした「310+1シネマプロジェクト」を設立。「水戸短編映像祭」「シネポートシアターMITO」等の非劇場での上映活動のスタッフをしながら水戸の映画文化の発信に尽力している。水戸のコミュニティ放送「FMぱるるん」の「シネマ倶楽部」(第1・3月曜14:00)パーソナリティ。
https://310cinema.wordpress.com